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目指せストーリーテーラー
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『中挽きマルクルさん、こんにちは。
とりあえず、被害はなかったですか?なんて、手紙で尋ねるような事ではないのだろうけど。この手紙を読んでいられるという事は、郵便屋さんも正常だし、あなたも無事で、五体と脳が働いているという事でしょうから。
なので今日は、中挽きマルクルさんが「無事である」と仮定して、書かなくてはいけないのかしら。
私の方も、今回は酷く怖い目にあいました。その時はちょうど、施設内の大ホールで、「100円ライターの関する事例発表」を聴いていた時だったの。消防署の人たちが集まって、火災予防の話を偉そうにしている時に、巨大な天災ですものね。みんな怖がって、何も出来ないの。自分が避難して、自分の家族の安否確認やら明日の仕事の心配やら何やらで精いっぱい。私たちは何て、小さいのでしょうね。
そもそも100円ライターが世の中にいくつあって、それを子どもが触れて事故が何件か起きて…なんて話を聞かされた所で、自分たちには何の役には立ちませんからね。そうこうしている間にも地球は変わらず廻り続けて、ライターも携帯電話も液晶テレビも大量に生産されて、とりわけ成長の早い子どもたちは、そんな物の使い方なんて、1人ずつ順番に覚えていきますから。報道が知らせてくれる被災者の数が、日に日に増えていくのと同じように…ですね。
奥さんとは、連絡はとれましたか?それともすでに、ヨリを戻しているのでしょうか?中挽きマルクルさんは、自分が大変な時に、この天災ですから、意気消沈お察しします。私の事は、心配しないで下さいね。恥ずかしい事かもしれませんが、一切合財、施設の庇護を受けていますから(笑)。お互い、自分の事に集中しましょう。
さて、私のその「珍獣館」はというと、例外なく物資が届かず、最低限の生活を強いられています。
一人、花粉症の女性がいて、涙を拭くのや花をかむのに大量のティッシュペーパーが必要なんだけど、そういうものも足りなくて、困っています。
そもそも“アレルギー”なんて言葉は、いつから出来たのでしょうね?私はあまりイイ物を食べて育って来なかったけど、幸いその気配を持っていない体質らしいので、少しは幸せなのかなと思ったりしています。花粉や、卵や麦なんかに何かしらの反応を示す人の人生を見ていると、なんだかごくごくつまらないものに急ブレーキをかけられているような気がして、自分まで淋しくなります。私なら、そんな状態の自分の体を、嫌いになってしまうかもしれないから。季節の変わり目の空気なんて、最高だと思ってるし。そんな時期にクシャミだけが友達なんて、気が滅入ると思う。“今日は花粉の量が少ないから調子がいい”とか“このメーカーの薬が良く効くよ”なんて会話も、したくないしね。
とは言っても、ここでは日頃から規律の正しい生活をしていたので、そんなに苦にはなりませんけど。
自分が唯一辛い事と言えば、洗濯が一人当たり3日に一回の割り当てとなった事くらい。それも被災地の人々の事を考えると、贅沢は言えません。
何よりもここにいれば、普段から買い物をする必要もないので、スーパーに並ぶ必要もないし、ガソリンを買うのに行列に加わる時間の無駄もありません。アレを見てると、世間一般の人は「並ぶ」のが好きみたいですね。中挽きマルクルさんも、そのテですか?
多分この先、ビールもタバコも買えなくなるみたいだから、足りなかったら今のうちに買っておくのがいいよ。コーヒーは、いいのかしら?何にせよ、人並みに募金するのも、忘れないで下さいね。
私はここを出てから募金します。ここでは現金を持てませんから。あったとしても、ここの人たちが管理する募金箱なんて、考えただけで胡散臭いからね。
だけど甚大な被害を受けていない私たちは、幸せだよね。私には、紙と鉛筆があれば、それでいいし。最近は常に、絵を描くようにしています。見たモノや聴いてきた事だけではなくて、頭の中にあるモノを、うっすらと描けるようになってきた気がしたから。男だてらに“無口な”中挽きマルクルさんを見ていて学習したんだけど、やっぱり口じゃなくて、手を動かさないとね。何故かというと、そうする事によって“不幸な自分”を忘れる事が出来るから。
あなたの小説は、進んでいますか?確か私と会っていた頃は、全然描けなくて、一時的にストップさせていたんだよね?まぁ、寝かせることで、作品にも成熟度が増すっていう話もあるからね。
生意気言ってごめんなさい。今回はこの辺で。災害の影響はまだまだ続くと思うから、生活のペースを乱さないように気をつけて。
その前にまずは何より、中挽きマルクルさんの無事を祈っています。』
青梅ロンドからの手紙を読み終わっても、まだラーメンは運ばれて来なかった。僕は入り口側のテーブルにいる、つまようじ入れを手にしたが、なかなか取り出せないでいる人を眺めていた。
自分はあの時、部屋に掃除機をかけたかったハズなのに、かけられなかったんだと思った。店のテレビは、NHKニュースのまま、被災地の情報が流されている。僕は自分の「孤独」や「往復」や「繰り返し」の生活でさえ、たまらなく愛おしくなった。
僕は店を出て、歩道を歩いた。僕たちにはまだそれぞれに、帰る場所と居る場所がある。道路脇、胸の高さまで積った雪から垂れ下がる、細いつららに手を触れた。取ろうとしたのだけれど、自分の手から滑って落ちて、地面で割れた。
フリージャーナリストの仕事も、文章を書く作業も、好きだった。小さい時から日本語の文章の美しさに惹かれていた。宮沢賢治の寓話性、夏目漱石の頑ななまでの文学精神が、特に好きだった。読む事に没頭し、ストーリーの中に身を委ねる事で、現実からの逃避を心地よく遊泳できた。
しかし、新聞・雑誌は嫌いだった。いくら読んでも、自分は何処にも行けないような気がしたからだ。世間の風潮は、「情報」を知らない、または疎い輩はダメ人間、変わり者とされていたが、気にもとめなかったし、それで仕事が減る事もなかった。
それでも災害の後、被災地へ行くことが出来なかった自分に、重い劣等感を抱いていた。どこぞの戦場カメラマンでもあるまいし、旅費を稼ぐ為にテレビ出演をするワケにもいかず、何処からもオファーが来なかった事で、絵里由は酷くイライラしていた。連日の報道で流れてくる、被災地の人々の実情を聞かされる事による、人並みの焦燥感も抱きながら。
今日は折角のオフだが、弟たちが来る。結婚を約束した彼女を連れてくるのだという。弟は、付き合う女性をコロコロと変える輩なので、絵里由も初めて見るのだが。
何のこっちゃ。しかし、ある意味立派だ。
警備の仕事(バイト)をしていて知り合った。休憩時間中に行ったパチンコ屋で、同じくそこでアルバイトをしていた彼女と知り合ったのだという。
「最近やっと、おにぎりの作り方を覚えたんです。被災地の方々の役に立てるように、じゃないけど、ニュースを見ていて、これくらいは出来なくちゃって。実家の母が得意でしたから、レクチャーを受けて。」
そういう事は、教えられなくても「何とかして」やるものではないのか。だいたいそんなモノ、実家の母親でなくてもレクチャー出来るだろう。あなた、トモダチいないの?
この二人は上手くはいかないのだろう。学業をおろそかにしたせいか、その思考回路は浅く短絡的なまま、人生を生きねばならないパッとしない若い男。同じ程度の脳味噌を持っているせいなのか知らないが、口数が少なく、ぼんやりとした、肉付きの良さばかりが目に付く若い女。
まぁ、人様の事は言えまい。しかも、一応血肉を分けた兄弟だ。自分も大学進学の時には、親にも相当無理を言った。しかし学校なんて何処まで行っても、『鉛筆の握り方』を教えるような場所でしかなかったのだ。それ以上の事なんて、ない。
こんな事ばかり思いつく自分も、多分あまりいい状態ではないのだろう。絵里由は、自分がこんな二人にも嫉妬心を抱いているのだろうと思うと、やるせなくなった。ともあれ、先に子どもを作っていなかった事だけでも、安心した。
二人を外まで見送る。月の明かりが帰路に向かう二人の後ろ姿を嫌にもの悲しく照らすが、街灯の少ない路地では、すぐに見えなくなった。絵里由は一人、空を見上げる。月の光は、我々をあざ笑ってさえいるようだった。この平和な国にあり、自分たちはあまりにも無力で、滑稽だった。
ソファには、自分の脱いだ物が散らかったままだった。
妻はまだ、戻っていないようだ。長く一緒に過ごした人が居なくなっただけで、自分はかなり調子を狂わせたようだった。
僕はベッドから起き上がり、テーブルの上に置かれた郵便物の束に目をやり、冷蔵庫へ向かってビールをとってきて、ソファに座りこんだ。プルタブを開けた時、自分はいつ、郵便物を取り込んだんだ?と訝った。
郵便物の束を手に取る。ガソリン、携帯電話の請求書。クレジット・カード会社からの請求…。
クレジット・カード?自分は使う事はない。妻が使ったのだろう。
明細を見れば、最後の足跡がわかるかもしれないと思ったが、手に持った束の中に、一通だけ封書があった。筆跡にも見覚えがある。『青梅ロンド(おうめ・ロンド)』からだった。
カード会社の明細よりも先に、僕はその封書の中の手紙を読んでいた。
『中挽きマルクルさん、こんにちは。この手紙は3通目ですね。
3通目といっても、あなたにとって1通目かもしれません。手紙が上手く届かないとか、あなたが病の床に伏して手紙を読めないとか、世の中にはそういう辛い事がたくさん起こるものだし、中挽きマルクルさんが、私の出した手紙を真剣に読んでくれるかどうかも、わかったものではないから。
それは別に悪い意味ではなく、中挽きマルクルさんは今、大変な時期ですからね。
なので何故私があなたを『中挽きマルクル』と名付けたのか、おさらいしておきましょう。
あなたと知り合ったのは、とても暑い夏。陽の光がジリジリと照りつけるような日でも、熱いコーヒーを飲む事を好んでいたあなたは、「ペーパードリップは中挽きが基本」と話してくれましたね。
理由はメリタ式の一つ穴で抽出する場合、まず誰でも手軽においしいコーヒーが淹れられるから、と。
コーヒーの挽き方には、細挽き、中挽き、荒挽きと3種類あるというのも話してくれて、私はそんな事もあなたから聞いて初めて覚えた、そんな夏でした。
「誰でも美味しく淹れられる中挽き」というのが、いかにもあなたらしくて、おかしかったわ。あなたは奥さんを選んだ時も、「まず自分でも付き合っていけるだろう」という理由で選んだのだものね。奥さんの方には、あなたに対する愛があったのかもしれないけど。
で、そんなあなたと、映画に出てくる「マルクル」みたいな子の存在が、とてもオーバーラップしたの。『ハウルの動く城』ですね。別にあなたとマルクルが似てるというのではなくて、映画の中で、マルクルは登場人物たちの関係を、とても上手く仲介する役を担っていたような気がしたから。上手に“真ん中”に居てね。
細くも、荒くもない、真ん中の中挽きみたいに、という事。
物語と言うのは、ああいう存在が無ければ成り立たないんでしょうね(主役級以外の役で)。ワケのわからない登場人物たちの“立ち位置”のようなものを、「まず、誰にでも」分かりやすくさせてくれるの。
私はそんな彼が大好きで、彼が変装の時に使う魔法がとても好きなの。「待たれよ」のセリフもね!原作はあえて読みませんでした。マルクルが出てくるかどうかも知らないし、出てきたとしてもイメージが違っちゃってたらがっかりするし、第一に私は本なんて一切読まないですからね!中挽きマルクルさんの年齢になった時に、中年太りで醜くなったらイヤだから(笑)
名前の由来はわかったかな?一応、私の好きな登場人物の名前を付けたのだから、そこは喜んで下さいね。
さて、私は今、とある施設にいます。1月の半ばから、ここに来ています。秋にあなたに会えなかったのは、手続きだのなんだので、いとこの家と区役所を行ったり来たりしていたから(詳細は、前に送った2通の手紙を参照して下さいね)。この手紙は、それを知らせたかった手紙なのです。
場所は山奥にあって、とても静かです。施設の外は高い壁に囲まれていて、その上には有刺鉄線が見えます。正門も、部外者は特に、許可なしには自由に出入りする事ができません。
ここまで言えばわかるわよね?そう、ここは私のような、出生や生い立ちに問題が有り、精神的に“病み”のある人たちがたくさん集められている所です。中では勉強という程の事はしなくていいので、朝から携帯ゲームに没頭する少年や、五体は満足で、容姿もTVタレントみたいにキレイなんだけれど、個室で一人、閉じこもっている20歳そこそこの女性や、どこがトイレなのかわかっていない壮年の女性や、40を過ぎてもここから出られず、職員として居座った男性もいます(この人の事は、どこが問題があるのかわからないけれど)。
いわばみんなが大家族のようなもので、集団で生活を共にして、社会復帰をしましょうという弱々しいアイデンティティに支配されている場所です。
時々、“位”の立派だというオジサンが、見聞と称して施設にやって来ます。多分、お金を出してい人なんでしょう。声は甲高くて、立派な言葉を使って喋るのだけれど、言っている事はわかりません。中挽きマルクルさんの言葉を借りると、「短絡的な脳味噌」を持つ、「品のない人間」なのでしょう。確かに人相も悪く、髪の毛もありません。おまけにすごい太っちょです。
私が施設に入った時もやってきました。若い女を見るのが好きなのでしょう。この建物の中には至る所に監視カメラが仕掛けられていますが、その映像を一人で見ているかもしれませんね。寝室にはもちろん、浴室や脱衣所、更衣室、女子トイレにまであるんですから。それについてはここの職員の人たちでも、口をつぐんでいるような印象さえ見受けられます。みんな、自分の給料が欲しいですから。
一度、8才の男の子がいるんですが(この子は動物園でサル山にダイブしたり、父親がパチンコ店に連れて行った時には、癇癪玉を台に入れて破壊させたりしたの)、私の鉛筆を持ち出し、いつも叱られていた看護師の女性の首に刺してしまったのです。その女性は一命はとりとめましたが、首には傷跡が残ってしまいました。この人もまた、若くてキレイな人だったので、かわいそうです。それで私の紙と鉛筆の一切の類は、個室に引っ越しをされ、絵を描く時以外は鍵をかけられています。そしてこの部屋にも、もれることなく監視カメラがついています。
ずーっとみんなを見ていると、入所している人たちと、職員で働く人たちとの違いが分からなくなってきそうです。聞けばイイ大学を出て、結構なイイお給料をもらっている人たちみたいなのに、もっといい職場があると思うけど。
まぁ、人さまのお仕事の事をとやかく言っても仕方ありません。みんなそれぞれに働かなければいけないし、私もそうしなければいけないし。こんな所に、ずっと居たくはないですから。
私がここに居て、唯一安心できるのは、「ロンド」なんてフザけた名前を付けられた事をバカにされずに、自分の好きな“絵描き”に集中できるからです。
大分、まともになったでしょう?実際、私は自分がここに送られた時、あの時の自分の行動(寝ているボーイフレンドの右耳を、カッターナイフでスッパリ切っちゃった事)が原因だと、ずっと思いこんでいました。
だけど実際は、そんな行動を起こす思考回路を作り上げてくれた“生活”に問題があったのだと、ここに来て初めて気付いたの。「言われてわかった気がしてる」のではなくて「自分で気づいた」んだよ?進歩したでしょう。
さっき、職員と入所者の違いがわからないと言ったけど、ここの職員の若い男性で、この人はある立派な大学を出たんだけど、希望する職種に就く事が出来ず、田舎の実家に帰って、そこでガソリンスタンドで働いていたらしいのね。ところがそうして働いて、薄給で生活をしている内に、少しずつ心を病み始めてしまって、それこそここに送られる人の直前のような状態にまでなっちゃったみたい。自分は大学を出てもガソリンスタンドでしか働けない、みたいな。でもどういういきさつなのかは知らないけれど、ここの職を見つけて、今では元気に働いているけど、そんなルートや、本人の心情の変化を考えると、私たちと、あまり“差”がないような気がして。ちなみにその人は、事務職員をしている女のコとデートをしたらしいんだけど、お正月映画を観に行くのにネクタイを締めて、ホームセンターで売っているようなセカンドバッグを持っていったので、その後フラれたらしいよ。
人間はやっぱり“生活”が大事なのですね。単調な暮らしを繰り返して、見えてくるものをつかむ事。鬱になったりしてはダメ。私の母親である女は、私が朝、目を覚ますと、もう姿を見えなくしている人だったから。テーブルの上に、お金を置いているだけ。
でも私は非力な子どもだったし、「いつか抜け出せる」とだけモヤモヤと考える事しか出来ていなかった。自分で出来た事と言えば、アニメのDVDを再生する事くらい…
男の子の耳を切った時も、「人間の耳の断面はどうなっているんだろう?」「血は、どんな流れ方をするんだろう?」「この人は、どれくらい痛がるんだろう?」「切った右耳を、自分が左手で持って、痛がる人とを交互に眺めていたら、どんな気持ちがするんだろう?」とか、好奇心だけが先に立っていたからね!
そういうのは第一に、あの女(母親)が、そんな生活をさせていた事。また、一度、ケンカをした事があったんだけど、気が高ぶって、包丁を持っていた私に(その時は刺すつもりはなかったんだよ?)、「そんなんじゃ人は刺せないわ。人を刺す時は包丁を逆手に持って、刃を上に向けないと。」なーんて、包丁で人を刺す方法を教えるような輩だった事が原因だと思う。
でも、あの人の事は、もうどうでもいいんです。私はアニメーターになろうと、毎日絵を描くという日課を、作る事が出来たから。そういう意味では、施設での、「規則正しい生活」みたいなものは確かに効果あるよね。
中挽きマルクルさんはアニメなんて見た事がないでしょうから、一応説明しておくけど、現在はアニメーターになるにも、立派な大学を出ないといけません。なので私は、立派な所で働く事は出来ないと思います。間違ってもスタジオジブリなんかではね。
ではどうするかというと、昨今のアニメ制作においても、経費の削減が深刻で、エンディングのクレジットを見ていると、中国人の方々の名前がたくさん出てきます。その人たちが所属している会社は「動画を作る会社」のようで、社名もいかにもアジア系です。という事は、その人たちが自分で作った会社ではなくて、日本人の偉い人たちが(テレビ局のオジサンたちとか)、お金だけ出して適当に作ってあげたんですね。後はそこに中国人スタッフ(=労働者)を放り込んでおけば、安くて儲かるアニメの出来上がり、というワケ。
私が考えているのは、どうにかこうにか、そんな会社に潜り込ませてもらえないかな、という事です。そんな事をここの施設の職員に話してみたんだけど、何とか打診してくれてるみたい。
大学がダメなら専門学校みたいな所にでも行けばいいんでしょうけど、私が行けるとすればそれこそこんな施設と似たり寄ったりの所でしょう。マザコンのアニメオタクと隣の席で勉強するなんて、考えただけでも身の毛がよだつから、行きたくないのです。
アニメーションで絵を動かすにも、「人の耳を切った経験」なんていうものが、どこかで役に立つといいな。もちろんここを出たら、そんな事は言えないけどね。
では、中挽きマルクルさん、今回はこの辺で。手紙は、また書くと思います。すっかり筆マメになっちゃいました。だって、まともな話相手すらいないんだもん。
早く奥さんも、戻ってくるといいね。ちゃんと子どもも作って、幸せになるんだよ。他のみんなは、私みたいになってはダメ。間違っても子どもたちは、私みたいに育ててはダメ。』
読み返そうと思ったが、イライラが収まっていないのでやめた。空になっていた胃袋に流し込んだアルコールが効いてきたので、そのまま横になって目を閉じた。
窓の外を見なかったので、屋根を打つ水の音が、雨によるものなのか、解けた雪によるものなのか、判断がつかなかった。
特に寒い冬は、休みになると朝イチでパン屋に出かけ、焼き立てパンを買い込み、挽きたての豆で入れたコーヒーを飲みながら好きな映画のDVDを見る。そんな休日を過ごしていた。
自分の店を持ちたい、と思う事はなかった。自分は与えられた仕事をこなし、つつましく生活をして、後の時間は好きな本を読み、映画を見て、誰のためでもない石鹸を作って暮らす。そのスタイルが似合うのだと、思って疑う事はなかった。そして、近所の小さなパン屋を愛した。
パン屋に通い続ける、クリスマスも近いある冬の日、店を営む若い夫婦と初めて言葉を交わした。二人は30代後半。
人と接する事は間違っても得意という事はなかったマリカだが、その日、アップルカスタードのパンがガラスケースの中になかった。曇った表情を察した主人の妻の方が話しかけてきてくれた。
「お客さん、いつも朝早いですよね。焼きたてを今並べますから、少し待っていて下さいね。」
待っている間、数人、数組の客が出入りして、パンを求めた。自分も足しげく通っている店なので、大体は見たことがある人々だった。
一人の老婦人が入ってきた。
「この雪は、明日には溶けてしまうのかしら?クリスマスには孫たちが来るから、雪を見せてあげたいわね。」
この老婦人も常連客らしく、店主たちとも気さくに話をしていた。
「(誰だろう?随分上品な感じの、おばあさんだな…)」
この老婦人を知らないのは、不思議と自分だけであるようだった。
柔和な顔立ちで、丸眼鏡をかけ、杖を持ちひどくゆっくり歩く。寒い日で、頭には小さなニット帽を被っていた。
マリカは本を読みながら、店主と老婦人のやりとりを聞いていた。クリスマスの日に、ここの店のピザを注文予約していたらしく、その話題を持ち出していた。ケーキは孫たちが買ってきてくれるとか、ツリーをみんなで一緒に飾りつけをするのが楽しみだとか、そういう類の事だ。老婦人の家はどうやら、毎年のクリスマスになると、急に賑やかになるらしい。そして本人は、その日を相当楽しみにしているようだ。
マリカは思考を『読書』から『想像』に切り替え、この老婦人がひざかけをして暖炉の前に座り、イスに揺られながら孫たちの会話を楽しそうに眺め、クリスマスを過ごす姿を想像してみる。その日は、お手伝いのおばさんも一緒だ。悪くない。まるで『魔女の宅急便』の世界だ、悪くない。この人の家に、暖炉があろうとなかろうと。
「たまには、歩かないとねぇ。自分の住んでいる街の道筋も、忘れてしまうわ。」
そう言い残し、パンを買い求めた老婦人は店を出た。
「いつもはヘルパーさんが買いに来ていたのだけど、最近は足の調子がいいから、自分で散歩したいみたいですね。」
マリカが聞くともなく、女主人の方が教えてくれた。どうりで、自分は面識がなかったのだと思った。
「(ヘルパーさんを、頼んでいる人なんだ…)」
お手伝いのおばさんとは違うが、自分の想像力もたいしたものだと、マリカは、してやったり顔をした。『魔女の宅急便』に少し近づいた。
アパートに戻ったマリカは、新しい豆を挽き、コーヒーを作った。クラシックな手動のコーヒーミルは、もう10年近く使い続けている。そろそろ買い替え時期かもしれない。
濃いめにコーヒーを入れ、ミルクフォームも作り、上に乗せた。
マリカは、古い映画を揃えていた。何年ごろに作られたとか、何の賞をとったとか、そんな事は知らない。気になったら、インターネットで調べればいいのだ。
ロード・ムービーや、青春映画も好きだった。豪華キャストのハリウッド映画など、寒気がした。そんなものは、せいぜいデートの時に、手をつないで見に行けばいいものなのだ。きっと寒いデートになるだろうけど。
日本映画では、ジブリのアニメ映画を少し持っている程度だった。日本映画など、基本的に見る気もしなかった。大体、若い女優の演技がベタに過ぎる。せめてまともな高校を出た人間を、オーディションで選考するべきだ。
今日は『ペーパー・ムーン』を選んだ。見るのは4回目だった。誰もが知っている映画だが、大好きだった。モノクロで撮られたロード・ムービーの中では、これ以上の良作は、ない。
舞台は1930年代のアメリカ。事情のある男と少女が、アメリカ大陸を珍道中する。過度なメイクもファッションもなく、純粋な制作へのこだわりが随所に見られる。制作は1970年代。カラーで作られる時代であったが、モノクロフィルムを選び、制作したという。子役の少女の演技もいい。劇中、カーニバルに立ち寄る。少女は夜の出店で写真を撮る。`30年代のアメリカのカーニバルの定番であった「ペーパー・ムーン」の出店だ。紙で作られた月に腰かけ、仏頂面で一人、写真に収まるティタム。何と素晴らしい写真だ。映画も好きだったが、劇中で撮られるこの写真を、マリカは好きだった。
モノクロの映像作品とは、何故にこうも人の心を揺さぶるのだ?主人公の男はラストシーンでこの写真を眺め、少女との別れを惜しむ。
ちゃんと写真が、ラストまで生きている。この映画は『ペーパー・ムーン』なのだ。
映画の途中で、電話のベルが鳴った。マリカはDVDを停止した。
「断るつもりはないんだけど、私に出来る事なのかどうかが、わからないんです。」
電話は、パン屋の女主人からだった。
老婦人に石鹸を作るという自分を想像した時、あれだけ好きだった石鹸作りが、一瞬自分の元から離れていくような気がした。
これまで、頼まれて作ったことはなかった。コーヒーの一杯にしたって、家族以外の人間に作ってやった事などなかったのだ。他人に依頼されるというのを、経験した事がなかった。
一度、パン屋の女主人に石鹸をあげた事があった。いつも何かしらサービスをしてもらっていたので、ほんの気持ちにと、それは自分から差し出した。
それくらいの態度を示す事くらいなら、自分にも出来る。
老婦人と、女主人のやりとりはこうだった。
「あなたの手は、どのような手入れを、なさっているの?」
「手入れに関してなど、化粧と同じで、ほぼ素人です。お客さんがご趣味で作られているという石鹸を譲って頂き、最近はそれで手を洗っているだけの事です。」
それを聞いた老婦人が、マリカの石鹸を売ってほしいと、懇願しているというのだ。
それを伝えられた電話だったのだが、うれしくもあり、何故だかよそよそしくもあった。どういうワケか、そう思った。
「どうする、あの人のお宅に、連絡する?」
「あの、少し考えさせてもらえますか。」
マリカがそう言って、二人は電話を切った。
なんとなく、映画の続きを見る気がしなくなったので、普段は全く見ないテレビのチャンネルに切り替えた。
マリカは、テレビを見るのが苦手だった。
全く見ない、というワケではなかったが、とにかくテレビを見るのが肌に合わなかった。ドラマ、ドキュメンタリー、バラエティ番組など、全てだ。必然的に、部屋のテレビはDVDの再生にしか利用されない。強いて言えば、ニュース番組を流す、くらいのものだった(ニュース映像も見るワケではなく、耳を澄ませて情報を聴く程度にしていた)。
テレビでは『離婚式』なるものの様子が映し出されていた。夫の浮気が原因で、離婚しようという夫婦が式を行い、二人揃ってトンカチで結婚指輪をたたき壊す、という一部始終だった。
何故だかわからないが、その式には夫婦の友人たちも出席していた。そして一人残らず、つまらない顔をしている。
ワケがわからない。この様子を、電波に乗せて放送しているテレビ局の人たちもわからない。まぁ、その人たちは“仕事”だろう、好きでやっているワケではないのだろうけど。『映像関係の仕事をしている』人間が誰もかれも、『映画監督になれる』ワケではないのだ。
昨日のニュースでは、一度も結婚出来ない男性が『婚活パーティー』なるものに参加して、そこで知り合った女性に騙されたのか、被害を被った話が流れていた。
この先の世の中は、どうやら自分の知らない方向へみんなでキャラバンルートを進むのかもしれない。炎天下の下、みんなでつまらなそうな顔をして、ジリジリした砂の上を歩くのだろうか?その昔の遊牧民は、死人を置き去りにして、歩き続けていた。
いけない、思考が、暗くなっている。今日は休日なのだ。明るく保たなくては。世の中は、もうすぐクリスマスなんだぞ。
“石鹸を作れ。”そう言われただけなのに、何故にこうも調子が狂うのだ?
カップの中のコーヒーも、当然の如く、既に先ほどのぬくもりを失っていた。世の中の全ての事柄が、自分という存在から遠ざかっていくような気がした。
外からは、子どもたちの遊ぶ声が聞こえた。雪が珍しいのだろう、はしゃぐ声だ。
彼女は、自分が中学生の頃に、飼っていた犬の事を思い出していた。
種類は雑種だったが、柴犬の血が混じっている、キリリとした雄犬だった。母親の実家から、捨て犬だった子犬を、譲り受けてきたのだった。
まだ小さく、優しい体温を持つその犬は『バド』と名付けられた。絵画が好きだった父親が、サルバドール・ダリからとって名付けた。
「娘の情操教育のためにもいい事だ。」などという理由をつけて、両親は犬の世話をマリカに押付けた。教育だかなんだか知らんが迷惑な話だと思っていたマリカだが、愛らしい姿を見ているうち、犬に対する抵抗はなくなり(生き物が好きな方ではなかったが、元々強い抵抗もあるワケでもなかった)、毎日の世話をした。躾もした。
犬が大きくなるにつれ、日々が楽しくなった。特に早起きをして、毎朝の散歩をする事により、生活にもメリハリが出てきたような気がして、体調も心なしか良かったような気がする、今思えば。当時の退屈な学校生活も、苦にならなくなった。
「自分と一緒に暮らす、パートナーが居るって、いい事なんだなぁ。」
中学生ながらに、そう思った。それから10年後、老衰により、死んだ。
一度だけ、小さかったバドをひどく叱った事があった。
飼い始めて間もなく、いつものように、夕飯をあげる時だった。マリカは必ず、お手とおすわり、おあずけをさせてから食べさせるようにしていた。
その日、バレー部の先生と口論をし、酷く苛立っていたマリカは、おあずけがままならず、自分に向って高い声で何度も吠える小さいバドを、ほぼ反射的に「バチン!!!」と頭から叩いてしまった。
非力な子犬は、後ずさり、怯えて小さくなっていた。小さな体が、使い込んで捨てられる直前の石鹸のように。もう、鳴き声もあげないその目は『どうして痛みを与えられたのかわからない。』といった様子で、飼い主をじっと見ていた。
自分の手に残った痛み(その位、強く叩いてしまったのだろう)を察した時、我に返ったマリカは、慌ててバドを抱き寄せ、頭をなでた。
「どうして今、バドを抱いているんだろう?私は今、何をしたんだ?」
その日はその後、どう過ごしたのか覚えていない。ただ先生と口論をした時の、激しい苛立ちだけを良く覚えている。
折しも当時は中学生、受験勉強、部活動と忙殺される日々の中、他の子どもと同じように、朝に目が覚めると、昨日の事は忘れてしまうという健全な精神をマリカも持っていた。
実際、犬の世話も毎日続ける事により、バドとの信頼関係も当然の如く良くなり、その後の日々を穏やかに、長く過ごした。
どうして今になって、あの時の怯えたバドの顔が思い出されるのだろう?多分今でも、罪悪感があるのだろう、何しろあの時ですら、反射的にしっかりとバドを抱き寄せ、慰めていたのだから。バドのような、自分より力の弱い者に行った事に対して、謝罪や反省の気持ちを持つ事もなく、都合の悪い部分は忘れ、自分のいいように過ごして来た。そして首尾よく、どこまでも無責任だった。
バド、私はあの時と同じだね。何も進歩してないね。脳という意識と、自分の行動が完全に分離している。不完全まま、大人になった。
まだ小さかったあなたを、力一杯叩いてしまった。
あなたはただ、『お腹が空いていて、ご飯が食べたかった。』だけなのに。
ごめんねバド、ごめんね。
そしてはじめて、マリカはバドの事で泣いた。声をあげて、大声で。
どうして叩いてしまったのだろう?どうして、優しくしてやれなかったのだろう?
あのおばあさんに、せっけんを作ってあげよう。明日にでも、お店に行って伝えてもらおう。何の香りがいいのか、好みも聞いてもらおう。
奇妙な形をした帽子は、彼一流のシャレであるらしかったが、鬼柳にはそれが不満だった。
「それでは、ここまでのところ、理解して頂けましたね、鬼柳さん。」
「わかりませんね。とりあえずいきなり人の家に上がり込んで、僕の煮物を全てたいらげた上、ビールまで要求しての他に、そんな変な頼みは聞けません。」
「それではまた明日参ります。あなたに理解して頂き、目的を達成してもらうまで、しつこく食い下がれと、上層部にもきつく言われていますので。」
「何度来ても変わらないと思いますが、とにかく迷惑なので、もう来ないで下さい。」
鬼柳国秀(おにやなぎ・くにひで)41才は、小さな電業社に勤務する、ごく普通のサラリーマンだった。独身で、交際している女性どころか、他人との交友すら少なく、今では部屋で一人、テレビを見て、年甲斐もなく女優の肢体にのぼせたり、戦車や自動車のプラモデルを作ったりする事を楽しみとしていた。
そんな平和な日々に、奇妙な人間がやって来て、ヘンテコな依頼をされてはたまったものではない。プラモデルの設計図を分厚くしたようなものを渡され、これを期日までに造らなければ、この日本が滅びるという男が現れたのだから。
プラモデルの設計図なら、小さいころから何度も見てきた。勉強はそこそこ出来たのだが、スポーツが全く不得手で、それが起因したのか、外に出て友達と遊ぶという事が出来なかった鬼柳は、いつしかプラモデルを作る事で、自分を確立するようになってしまった。
友達がいないワケではなかった。ただ単に「あいつはプラモデルが友達だ。」位に思われ、利もなく害もなくといった存在だったのだろう。
高校では電気科に進んだ。工科の中ではエリートクラスだった事もあり、つき合いというものが面倒でなかったという点にも目を付けた(先輩、後輩という言葉も、とにかく苦手だった)。
高校卒業後は、会社はいくつか転々としたが、電業社の勤務を続けている。ある程度の設計図を覚え、経験を積み、日々繰り返しての作業を続ける内、電子回路など、自然にわかるようになっていた。電流そのものが、自分のものだった。
双子の美人姉妹と、一緒のベッドに寝ている男の部屋にも、電気工事をしに出向いたことがあった。赤い外車が、ガレージに止めてあったような気がした。自分とは縁のない生活だなと、気落ちしたのを覚えている。
そうして鬼柳が設置、または修繕した配電盤は一切壊れる事がないと、評判になり、独り暮らしでも、生活にも仕事にも困る事はなかった。
所有するプラモデルの数も増えていった。子どもの頃はロボットのプラモデルが中心だったが、大人になった今は、自動車や、ミリタリー系の戦車や戦闘機などのプラモデルを好んだ。
しかしそんな物を集めれば集めるほど、自分がどんどん孤独になっていく感は否めなかった。まともな大人のやることなのだろうかと、ジレンマに陥る事もあった。
対人関係において、鬼柳が好きになれなかった事は、居酒屋〜カラオケへと流れる一連の遊びだった。若い時分、つきあい程度で嗜む事はあったが、楽しくなかった。自分はテレビも人並みに見ているつもりだったが、そんな話題に調子を合わせなければいけないような風潮も、気に入らなかった。もう少し脳ミソを使った話がしたかったのだが、自分の周りにはそんな人間がいないとさえ、思うようになった。生まれつき、容姿が他の人間より恵まれていなかった事もあり、若い女性など、鬼柳とは対話をしてくれる事もなかった。全てオウム返しや、愛想笑いで済まされた。
こうして、自分が年をとる内に、周りの人間は結婚をし、家庭を持ち、生活に入っていった。必然的に自分は独りになった。静かな暮らしの中に、入っていった。プラモデルを買うのは好きだったが、生活を崩さない程度に留めた。自分の好きな事でも、度を過ぎたやり方をすると、自分が人間じゃなくなってしまう気がしたからだ。これ以上、地に落ちたくはない。『恥ずかしい大人』にならないように、日々を生きていかなくてはいけない。
渡された設計図は、一見すると、まるで小さい時に作っていた、アニメに出てくるロボットのプラモデルそのままのような代物だったのだ。しかし完成させれば、然るべき目的を果たすべく動き始めると、PAR・キングは主張する。今日で4回目の訪問だ。鬼柳は相手をするのに、ほとほと疲れ果てていた。鍵をかけようがどうしようが、その男はどういうワケかリビングに正座して、鬼柳が相手をするまでそこに居座り続けるのだから。
「目的って、何なんですか?それ以前に一体こんなものを、どうやって動かそうというのですか?まさか乾電池で動くハズもないし、電気のエネルギーを大きくしたって馬力が足りないだろうし、ガソリンなんかで動かされたら、地球上の資源が枯渇してしまいます。」
「鬼柳さん、それは現時点では教える事は出来ません。しかもそれは、あなた方地球人が考える事ではないのです。だから今は、黙って造ってほしいのです。」
この男は地球人ではなかったのだろうか?まぁ、どうでもいい事だ。
「僕には仕事もあるし、今の生活だって気に入っています。そういうものの全てを守りたいんです。余計な事に、首を突っ込むようなマネはしたくない。」
「それならご心配なく。既に会社の方へは話をつけてきたのです。あなたは明日から、仕事に出向く必要はありません。しかも生活を守りたいのであれば、なおさらこれを完成して頂かなければならないのです。その事も、今までお話ししましたよね?期日までに完成させなければ日本が…」
「ちょっと待って下さい!」
「何ですか?」
「何ですかじゃないです!今、何て言いました?」
「ですから、期日までに完成させなければ日本が…」
「それはもういいです!あなたの言う通り、もう何度も聞きました。会社に話をつけたっていうのは、何の事ですか?」
「ええ、我々としましても、どうしてもあなたにこの作業をして頂きたく存じまして、社長さんに説明させて頂きました。」
「それで、納得したんですか?」
「ええ。我々の力による、会社の『半永久的繁栄』を約束いたしましたところ、快く受け入れて頂き、あなたの身柄は完全に私どもの契約下に置かれたのです。」
何て話だ?そんな話を信じる社長も社長だ。もはや現実世界と架空世界の境界線があやふやになっているみたいだった。
「そういえば鬼柳さん。あなた今日の夕方、若い女性に電池を譲りませんでしたか?」
「え?あぁ…カメラのバッテリーがなくなった人にね。今どきのカメラでも、単三電池が使えるものもあるんですね。それが何か?」
「結構、それでいいのです。」
夜が明けた。あの男が訪ねてくるようになってからの夜明けはいつも、違う感じがしていた。なにしろいつ寝たのかすら、わからないのだから。
鬼柳はいつも通り、カオを洗い、歯を磨いた。最近の朝食は「バナナ・ブルーベリー・イチゴ」にヨーグルトを混ぜたものを食べ、昼まで我慢すると言った感じだった。長く独り暮らしをして、現場作業をしていると、昼食をどうしても外で済ませてしまう傾向になりがちだった。そんな生活が災いしたのか、すっかり腹も出て、動きにくくなってしまっていた。
食器を洗い、一通り身支度を整えたところで、PAR・キングの言葉が思い出される。あの言葉通りなら、今日からは、仕事に行く必要はない。ホントにそうなったのだろうか?
どうやら、そうなっていたようだ。
「どこだ?ここは?」
自分は確か、玄関の扉を開けたハズだ。しかし眼前に広がる世界は、まるで鏡の中の世界。そう、左右が全て、反転しているのだ。しかも、人の気配がまるでしない。
それでは、ここで造れというのか?鬼柳は、受け取った設計図を取りに部屋に戻る。そうしようと思ったワケではないのだが、体が反射的にそう動いたのだ。どうやら自分もすっかり、この異世界の住人になっていたようだった。
設計図は、道を示してくれた。その力は鬼柳を、然るべき場所まで導いているのだ。自分はこれからどうなるのだ?確かに僕は、見かけはヘンだが、自分は中流家庭に生まれ育った、善良な一般市民だったのに。
導かれた場所には、既に部品らしきものが山積みとなっていた。ここも住みなれた街の、見慣れた場所だが、左右が逆だった。多分自分で歩いては来られなかっただろう。この世界では全てが、仕組まれた事のように推移するかのようだった。
鬼柳は、覚悟というものがなかった。ただ頭と体が、ロボットの組立、いや、建造と言った方がいいのかもしれない、そのために動いた。電子回路のようなものも、煩雑なものだった。しかし、不思議と理解出来ないようなものではなかった。作業そのものも、回路というものを熟知していた鬼柳にとっては、完成させるまでの面倒が先に立つものでしかなかった。
今造っている部位は、どうやら両脚であるらしかった。部品は巨大で、当然全高も相当に高い。しかしこの不思議な世界では、自分には信じられないくらいの力が備わっていたようだった。巨大な部品は重さこそ感じたが、持てないものではなかった。膝から上、腿の部分を造るにあたり、当然その高さまで部品を上げなければならないワケだが、それも何とか出来た。数日後に襲ってくる筋肉痛の事を除けば、怖い事もなかった。
日が暮れる頃、作業は終わり、いや、終わったような気がした時、そびえ立つ二本の両脚は、鬼柳の労をねぎらうかのように美しい夕陽を受けていた。
そんな風にして、不思議な世界での鬼柳の毎日は過ぎていった。PAR・キングは現れなかった。
巨大なロボットは完成に近づいていった。しかし5日目、遂に鬼柳は悲鳴を上げた。筋肉痛と疲れが頂点に達し、体が言う事をきかないのだ。しかしあのロボットの近くに行けば、また体が動いてしまう。自分は壊れてしまうかもしれない。そう思った時、もうやめたいと、強く思ってしまった。
そうしたら、PAR・キングが現れた。
「鬼柳さん、もう少しなんです。どうか完成させて下さい。」
「もうイヤです。体が動きません。これでは、壊れてしまいます。」
「大丈夫です。そんな風にならないように、我々がキチンと管理しているのですから。事実、今回のあなたは、非常に良く働いてくれました。今後の鬼柳さんの事も任せて下さい。さぁ、行って。」
「イヤです、信用できませんよ、そんなの。大体、何で僕じゃなきゃダメなんですか?デブだしハゲだし、目つきも悪いし独身で、プラモデルが友達のような…。隣に住んでいる年下の、幼なじみが結婚して、家の窓から奥さんと子ども二人の幸せな笑い声を響かせていても、僕はこっそり、ホテルに隠れて女を買っているような人間です。そんなダメ人間の僕が、何でそんな事が出来るんですか?もうイヤです。苦しいんです。」
「鬼柳さん、耐えて下さい。乗り越えるんです。あなたの、そのようなバックグラウンドなど、何も関係がないのです。やって下さい。そうでないと、あなたの幼なじみの隣人とやらも、この先どうなるのか、わからなくなります。」
もはや胸部から上を残すのみとなったが、二本の腕を動かさなくてはならないため、回線が非常に煩雑だ。しかしここも、見ただけで把握できてしまったため、自分には面倒だけが襲ってくる。夜明けまで、どのくらい時間があるのか知らないが、体力も限界に近い。
どうやら、この巨大な人型兵器に利用するエネルギー源は、最後まで教えてくれそうにない。がしかし、それももう、どうでもいい事だった。これ以上この人物と、その周りを取り巻く状況に巻き込まれていったら、自分を損ないかねない。一秒でも早く、解放されたい、そんな気持ちで一杯になり、鬼柳は作業場に向かい、最後の力を振り絞って建造にあたった。
夜が明けた。あの日から数えて、何回目の夜明けだ?また、ノイズに交じってテレビのニュースが聴こえる。リポーターは甲高い声色の男だ。もう、勘弁してくれ。今度は何だ?
「山間部のこの小学校に通う子どもたちは、非常に喜んでいる様子です。」
何だ?何の話だ?
「子どもたちは口を揃えて、昨日の夜の夢の中で、空を飛ぶ巨大な人型ロボットの影を見たと言います。私たちも、このトンネルの出来栄えをみる限り、あるいはそんな不思議な出来事もあったかもしれないと、納得せざるを得ないのかもしれません。」
雪の深い山間部の地方の子どもたちが、普段は尾根伝いに遠回りをして学校に通うところを、今朝起きて見ると山を一直線に突き抜ける、トンネルが掘られていたという事らしかった。雪の多い冬期間に学校に通う時間も労力も、これで半分以上に短縮され、子どもたちも地元の人たちも大喜びだという。トンネルの出口付近からは、単三乾電池4本が地元消防団により見つかったが、今回の件とは関係なさそうだった。
「鬼柳さん、よくやってくれました。あの学校に通う子どもたちの中に、将来ノーベル医学賞を獲る事になる子どもがいたのです。その子は将来、医学博士の博士号を取得後、アルコール依存症の根治法を発見し、ある有力政治家の生活を救うことに成功するのです。それは結果的に、食料自給難に端を発する日本の東西内戦を止める事に繋がりました。鬼柳さん、これであなたもたくさんの日本人の生活を、戦争に巻き込まれていく事から守り、その後の発展にも貢献する事が出来たのです。どうです?やってみて、よかったでしょう……?」
PAR・キングのそんな声も、どこかから聴こえてきて、次第に遠くなっていった。ニュースを聴いて安堵したのか、自分はこれでやっと解放された、存分に眠りたい、とだけ、思う事が出来た。
「やめて、やめて、これは僕の仕事だから。」
「うるさいな。そんな不気味な生き物、愛想が尽きたんだよ。そこどきな。一匹残らず殺してやるから。安心しな、お前みたいなガキには、手出しはしないよ。」
「いや、この子たちが一匹でも死ぬと、僕が殺されてしまうんです。きつく、言われているんです。」
「そんな事言ったって、誰も騙されやしないし、同情もしないよ。こんな生き物、お前の他に誰か管理者がいるものか。」
「信じてもらえないのも、わかります。確かにこの子たちは、真っ黒で、見かけが普通ではありません。泣き声も奇妙かもしれません。だけど慣れると愛くるしいし、あなたには迷惑はかけません。だからそんなもので殴って殺そうなんて、やめて。」
「今日は犬の声で、孔雀の鳴き声の真似をしやがるじゃないか。そんな鳴き声の、何処が愛くるしいのだ?こんな生き物には、別になつかれたくもないし、もう、君の話も聞きたくないね。ほらどきな。」
イヴェル・ザンザ少年(9才)が飼育室として利用していた楠木の幹の地下室に怒鳴りこんで来た男は、軟式野球トレーニング用の重いバットで、黒い大型の鳥類にも似た生き物を、一匹残らず(羽がついているので一羽というべきかもしれないが、足が四本ついていたので、一匹と呼ぶ事にする)殴殺した。
「あぁ…サンジャフ、ドドエル、ガイラム、ベリコン、アラキエフ…」
イヴェル少年は、力なくそこに膝をついた。彼は今、この国の収入源の、実に70%を失ってしまったのだ。
ミカ・ガニーナの家は、2階が潰れていた。
正確には、挟まれて潰されていた。両隣の3階建と5階建の家が、6年前の地震で傾いて、ミカの住んでる借家の2階を挟むような形で、両方から押しつぶしてしまったのだ。
自分の部屋を失ったミカは、1階で暮らすようになった。大家で、1階で牛乳矢を営んでいた牛乳屋の老婦人は、地震を機に店を閉め、駅前に建てられた市営の集合住宅で余生を送っていた。
ミカは、両親と決別していた。ファッションデザイナーを志す事を打ち明けた時、換地事務所を営む、古風で真面目な両親に、半ば家を追い出されたからだった。
文無し宿無しになったミカは、友人と共同で暮らすようになった。若く、非力で、能力の開花も遅咲きだったミカは、仕事もままならず、一度、風俗店での仕事を始めた。同居していた友人には内緒にしていたが、時間が経つにつれ、当然の如く知られてしまい、気まずさから、共同生活も辞めた。蓄えも出来ていたので、風俗店での仕事も辞めた。
そして転がり込んだ牛乳屋の2階だったが、その矢先の地震だった。
何をやっても上手くいかないと、初めて思った。自分の事をつまらないと思った事はなかった。思う余裕がなかった。象牙の乱獲のために顔面をえぐりとられ、内臓をむき出しにしてアフリカの大地に横たわるゾウは、こんな気持ちで眠っていたのだろうか?
そんな生活でも、死にたいと思う事はなかった。自分のような暮らし方をしていれば(あるいはそうでなくとも)、時期が来れば死ぬだろう。それよりは“生きる事の辛さ”の中に身を置いた方がマシだ。
『朝、目が覚めたら、その日は生きよう。』そのスタンスで、これまでやってきた。デザインの仕事も、徐々にこなしてきた。服のデザインとは程遠い仕事から少しずつ受け、評判が良かったことも、自信につながった。
どうしても服を作りたかった。ユニクロを着て、マクドナルドを食べ歩く、凍てついて希薄な日本人の精神を溶かし、切り刻んでしまいたかった。
風俗で仕事をしていた頃、一度だけ、客の男性と関係を持った。その当時から自らデザインした、奇抜な服を着て自己表現していたミカは、嫌でも目立ち、派手な顔立ちもすぐに覚えられ、常連の客がついていた。
男はアミューズメント機器のリース会社を経営しているといった、30代の男だった。自動車のコレクターで、外国製の小型車を中心に13台所有していると言い、デートの際は毎回違う車に乗って現れた。
だが実際、この男には妻子があった。会社経営も全くの出鱈目で、医療機器の販売・リースを行う、名もない会社のうだつのあがらないサラリーマンだった。当然、多数の車を所有していたのもハッタリで、ミカを乗せた車は全てレンタカーだった。俗世間に疎いミカは、レンタカーなのかどうか、判断出来なかった。恐らくそんな所も計算に入れて、ミカを遊び相手に選んでいたのだろう。どうしようもない所にだけ計算能力を発揮する、ダメ人間の典型的なタイプだった。
遊びのもつれ話から、男は妻を殺害した罪を裁かれた。ギロチンによる公開処刑の日、殺された妻の実父は叫んでいた。
「そいつを3度殺してくれ!私の娘に生きたままガソリンをかけ、火を放った男だ!」
「あの子どもはどうしているんだろう?チョコにしても、食べたくない種類の生き物だな、男って…」
そうしてミカは男嫌いになった。2階が潰れたままの家で、デザインに打ち込んだ。
服が売れるようになった。ショーのため、パリにも行った。ちょっとした資産も出来た。でも日本は変わらなかった。人々はハンバーガーを食べ続け、服を自動販売機で買い続けていた。本を読んで思考を働かせる事もなく、映画を見て感受性を揺さぶられる生活も程遠く、新聞やら週刊誌やらインターネットから流れる情報をより早く、豊富に持つ人間だけが“有能”とされていた。
結局自分には何も変えられなかった。住んでいる家も変わらなかった。小学生の時、オズの魔法使いの主役を、発表会で演じた。今は踵を3回鳴らしても、何処にも行けない事がわかった。大人になったのだ。世間の多くの人がそうであるように。
「私はここにいる。いるべくして。導かれ、その道をたどり、何処にも行けない。誰の役にもたたない。作った服ですら、“洗濯すれば流れて消える”単なる“汚れ”と同じだったのかもしれない。」
「(帰る処が、欲しいのかも…)。」新作を作れずにいたミカの服も、売れなくなっていた。
睡眠薬を飲んでしまう結末まで、導かれているような気がした。
「いくら書いてみても、内戦を終わらせる事はできないが…」
そんな意識が、自分のペンを止めていた。
「手紙は届いたのかな?金も尽きかけているから、来週末の従軍がなければ、帰るとするか。」
フリーでいる、その立場が好きだった。しかし大学の同期は企業に勤め、競合他社の引き抜きの恐れから、入社していきなり、海外へ出向させられていた。
「自分の意志でもないのに、見知らぬ土地に行くなんて、寂し過ぎるよな。」
結局自分も、“温室育ち”なのだと、半ば意気消沈していた。
取材のない時(従軍しない時)は、近所の子どもたちに野球を教えていた。いい遊びにもなり、楽しかった。
一人だけ、変化球を投げられるようになった子どもがいた。レオ・ウルンガという少年だった。自分の所に集まる子どもたちの中では年長者で、リーダーシップもあり、小さい子どもたちの面倒見も良かった。家の事も良く手伝う、何処にでも一人はいる、見栄えもいい男の子だった。好きな女の子がいるらしかったが、内戦勃発後、その女の子の若い両親は、親戚を頼りに北の土地に移り住み、フィルやレオ少年たちのいる南の土地とは、敵同士になってしまったという事だった。
「アメリカ兵は、あの家族を殺すのかな?」
「それは目的ではないんだろうけど、人の“思想”は、時としてそういう結果になり得る行動をさせるものなんだ。」
地元の日本では、紅白戦が終わった、育ち盛りの野球チームの子どもたちに、母親たちがジャンク・フードを買い与えている。
野球を卒業した大人たちは、必死になって覚えた変化球も空しく、ストレスを覚えたサラリーマンとなり、巨大に建設されたビルの中で、一日に12時間近くも働き続け、その文化的な生活とやらを維持するのに、個人個人が必死だ。
自分はすっかり、どこからが戦争で、そこまでが生活なのか、わからなくなっている。人々は一体何を、どの程度望んでいるのだ?
一年ほど前から、戦地の取材からは離れる事も考えていた。野球取材の仕事を受け、人気のあるプロ選手や、爽やかな高校球児の笑顔でも、撮っている方がいいかもしれないと思い始めていた。
そうすれば自分も、少しは一般の都市生活者のようになれるだろうか。これまでは戦地で生きる、一般市民の生活の有様を目の当たりにし、その表情や言葉に心をすり減らしてしまう生活に、実感を湧かせていたのだから。
結局、自分の事しか考えていないんじゃないのか?そう思うと、自分はすごく偽善的で、意地の悪い人間ではないかと思う。
塗装が剥げ落ち、真鍮がむき出しになったカメラを傍らに、原稿用紙に向かう。子どもたちから野球の誘いが来るまでには、まだ時間がある。
そう遠くない所からだろう、銃声が聞こえた。流れ弾がレオ少年の足に当たった事を知ったのは、蒸し暑い夜になってからだった。
毎回、ホテルのユニットバスでは嫌だったので、近くに見える新しく出来た温泉施設に来たのが正解だった。久しぶりにいい気分だ。僕も疑う余地もなく、純粋な日本人であるらしかった。
精算のカウンターで「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれた。持っていなかったので、もらう事にした。1,000円毎に1ポイント、それが10ポイント貯まると500円の券として利用できるというものだった。世の人たちはこのカードを持ってして、温泉通いというのをするのだろう。
小腹が空いたので、軽く食料を買おうと思い、ホテルまで歩くことにした。
右手にマクドナルドが見える。たまに食べてみようか。いや、ポイントカードを持っていない。やっぱり左手の奥に見える、ローソンで調達しよう。そこのポイントカードくらいなら持っている。DVDのレンタル店とポイントが共通で、映画を借りる時に得をするかもしれないと思って、作っていたからだ。
やれやれこの広い世界において、僕はコンビニとしか繋がりを持たない人間であるらしかった。
先が見えない気持ちのまま、ホテルの部屋へ辿り着いた。
テレビのニュースからは、山間部の小学校が閉校になったというニュースが流れてきた。伝統のある学校という事のようだったが、生徒数の減少、校舎の老朽化、通学路の整備事情などにより、閉校になったというニュースだった。
閉校式では子供たち、保護者、先生方ばかりか、卒業生であるという集落の老人たちまでもが泣いている映像が映し出された。
通学路である山道を埋める程の落ち葉を照らす、秋の西日の、強烈なオレンジ色が、どこまでも静かで暖かくて、美しかった。
ふと僕は、東京にある名もない私立の4年制大学で准教授をしていた同級生の事を思い出した。優秀な男だったが、立身には苦労していたようで、「上にいる、給料の高い教授連中が死なないと、オレたちは家も建てられやしないんだ。」というような事を言っていた。
さすが東京の大学だと思っていた田舎者の僕だったが、別の人物から聞いた話ではその学校は、大正デモクラシー時の日本国民の生活の様子も知らないで入学してくる学生たちが殆どで、テストでは携帯電話を利用してカンニングが行われ、男子学生は在学中からパチンコ、酒、タバコに明け暮れ、金を使い過ぎて卒業旅行にも行けない輩ばかりで、女子学生は3年生にもなると、子どもをつくってやめてしまう子たちが大半だった。
そして僕のその同級生は、女子トイレにビデオカメラを仕掛けた事が、自分と仲良くなった女子学生の関係を妬む、別の女子学生の、確信犯的な執念深さの手により発覚して、その大学をクビになっていたのだった。
どれだけ期待して、探ってみたところで、公用車には個人の好みに沿ったCDなんて、入っているワケはなかった。普段はの自分の車でも、スイッチに指を触れることすらない、カーラジオをつけてみる。
明日の天気と今日の交通渋滞に関してやら、引退した野球選手が政界に身を乗り出したやら、アイドルとも女優ともつかない女の子が語る結婚の年齢に関する願望やら、おそらく僕の脳みそでは、人類が木星に生活圏を築くような時代が来ても到底理解できそうにないような、一緒に暮らす母親に隠れて子どもを出産したという女子高生のニュースやらが流れてくる。
やれやれ運転するにも気が滅入る。ただでさえ大変な業務なのに。
休む間もなく流れてくる情報、次は星占いが聞こえてくる。もう勘弁してくれ、と思っている間、僕の星座の番がやってきた。
「今日は自分の好きな音楽を聴く時間をとるようにすると、気運が開けて来るでしょう。」
というような意味合いの言葉が聴こえてきた。